また変な話で済まないね。
私は2001年ごろまで「欠片」を「ケッペン」って読んでいた。そして意味は「欠けて失われてしまった一部」と認識していた。
だから2001年ごろ、当時の2chラウンジの有名人、弥市っていう男とチャットしてた時に、彼が「欠片」という言葉を使ったのに違和感があって、
私「失ってないなら欠片はおかしくない?」
弥「え、欠片は欠片だよ?」
みたいなやり取りをした。彼にとっては「欠片」は「かけら」なんで、当然といえば当然。例えば欠けた陶器のカケラはまだそこに散らばっている。
しかし私は「欠片」を「ケッペン」って読んでいて、それは、もはや失われてしまった、修復不能な何かを意味していたんだね。
つまり私の感性で言わせてもらえれば「欠」は「そこに無い」を意味すると思うんだ。たしかに「かけら」の漢字表記は「欠片」と書くのかもしれないが、そんなの知らねえよ。
私は20代前半まで、すべてが得るものだけ構成されていた。超速弾きギタリストとして一部で名を馳せることができたし、最高の友人たちと最高のパートナーに恵まれた。しかし、そのパートナーを失ったタイミングで、すべてが暗転した。早い話、あの時で私の人生は終わっている。
そののちは惰性で働き、流されるままに結婚して子供も得たが、これはもはや私ではない。あの時の欠片が大きすぎる。私は彼女に対する贖罪で生かされているといってよい。
相変わらず、わかりにくくて済まないね。