浜田ブリトニーが痩せてしまったのは残念至極だが、それとは関係なく、自慢っぽい感じで書きはじめる。
私は古くは「亀渕昭信」や「斉藤安弘」や「那智チャコパック」やらを、まだ小学生の癖に聞いていた(嘘。聞いたことがある)し「林美雄」さんの放送に「おすぎとピーコ」さんが出始めていたのもリアルタイムで聞いていた。スネークマンショーもリアルタイムで聞いていた。単にジジイなだけだと言われればそれまでだけど。意外なところでは文化放送での「みのもんた」さんの洋楽番組なんかも好きだった。私はその番組でデビッド・ボウイを初めて聞いた。
子供時代からラジオが好きで、物理的にもラジオが好きで、ダイオードラジオを自分で作ったりもしていた。中1で「無線従事者免許」も取った。当時住んでいたマンションの屋上にリード線を張ってアンテナにして夕刻の地方AM局の聴取を試みたり、結構アグレッシブに楽しんでいたと思う。しかし無線局開局までは至らなかった。無線機買う金がなかったし、高校時代にはアマチュア無線への興味を失ってギターばっかり弾いてたからね。
さて、テレビには映像があるので視聴者は受動的になり思考停止に陥り、愚民化が進む、という議論があった気がする。欧米ではテレビは低所得者層の娯楽なんだよ、とか発言する輩もいたような。でも、そんなのはどんな番組が提供されてるかの問題で、低俗な番組ばかりなら見なくなる人が増える、というだけの話。
純粋にメディアを比較して「映像と音声」VS「音声のみ」とした場合「音声のみ」だから駆使される想像力の多寡が「映像と音声」より多いと単純に言えるだろうか?テレビは確かに映像が提供されるが、だからといって視聴者から想像力が如何程も削がれているとは思えない。むしろ、登場する人物の表情や行動が見えるということはそれが何を意味するかを瞬時に受容せねばならず、視聴者に複雑で高度な情報処理を強いているといえないだろうか?
「まんが」も全く同様で、漫画の一コマ一コマの芸術的な描画とそのトリッキーな繋がりを理解し受容するには大変高度な脳の働きが必要だ。そして「映画」も…ってキリがないのでやめる。
だから、ラジオは「映像がないから想像力をかきたてるのでイイ!」っていうのはあんまり当たらない気がしてならない。いまの日本のテレビとラジオの差は実はコンテンツ制作の体制や広告会社の柵やらなんやら、いろんな大人の事情で差であって、メディア特性の差はあんまり関係ないんじゃないかと思う。MXテレビなんかものすごくラジオ局っぽいテレビ局だと思うんだ。
まあ、そういういろんな酸いも甘いもひっくるめて、現状日本のラジオは、私は素晴らしいと思っている。とくにAMラジオ。ラジオ局における聴取者とテレビ局における視聴者は、それぞれ捉え方が全く違う。テレビ番組の低俗化はテレビ局が視聴者を馬鹿にしている事実の発露といえよう。たいしてラジオ局は決して聴取者を馬鹿にしない(と私は感じている)。
そこが決定的に違うんだ。
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また同軸が断線だ。多分。
— えでぃ (@stykhr) 2014, 10月 6