昼休み、昼飯のために会社から出ると、街は入学式を終えたらしい子供と両親で溢れかえっていた。(✕✕幼稚舎という名称なので、昔、私は幼稚園かと思ってたが)ココは小学校なので、みんな小学校1年生だ。もう、見てるだけで微笑ましい。
お父さんも皆スーツ。平日なのにね。会社休んできてるのかな。むしろ、仕事が自由にならないような社畜安サラリーマンの子弟は入れないのかもね。
という私も二児の父親。彼らもこのぐらいの年齢は本当に可愛かった。(過去形)
サクラは随分散ってしまい、雨模様の肌寒い一日でしたが、佳き日となったことだろう。子の親となることは、自身の社会性と動物性がないまぜになった複雑な心境だけれど、それは特定のパートナーとの生活を始めたときだってそうだったはずだ。
その上で、無かった生命がある日この世に誕生する驚くべき経験は、人類の価値観を支えてきた根源的なものなような気がする。
ところが、未来に絶望しかない社会や自然のなかでは、その感動と価値観は失われ、皆子供をうまなくなって、人類は縮小していく。あたりまえじゃないですか。
シャインマート?
— えでぃ (@stykhr) 2015, 4月 7