敏感なのだ、ってバカボンのパパか。
あと「びんかんサラリーマン」はどこで観れますか?
というわけで、よく言われるように、差別語なんて存在しない、とわたしも思う。あるのは差別的な意識だ。そもそもすべての表現は人間の意識の発露だ。だから、そこにあるのは差別語という言語学的な分類ではなくて、差別的な人の差別意識だ。
「ブラインドタッチ」が差別語だ、みたいなバカげた話もあるが、そしたら「鉄アレイ」もアウトだ。「亜鈴」は本来「唖鈴」で、ダンベルの訳だもんね。確認せずに判を押す「めくら判」も当然アウトだ。
勝谷誠彦言うところの「バカ基準」
ほとんど無意味なクレームにまともに対応しちゃうために、普通の人たちが不便を強いられる構造が確かにある。言葉そのものに差別性が存在すると考えるような愚者のクレームに相手をしちゃう企業やマスコミも同時に愚者なんだと思うよ。
言葉に対して鈍感で、表面的にしかとらえられないから、バカげた「言葉狩り」が起きる。その言葉が発せられた背後にある表現者の意識をきちんと捉えられない、そんな基本的な社会性すら身に着けていない人達が少なからず存在するのは仕方ないことなので、相手にしなきゃいいと思うんだがね。どんな国だって犯罪者は一定量発生するのと一緒でさ。
しかしだよ、しかし。
例えばアメリカでいわゆる「n-word」を発したら、どんなつもりで言ったのかなんて関係なく、たぶんぶっ飛ばされるよね。言葉じゃなくて中指を突き立てるポーズも同様。
つまり、表現は意識の発露で、どんなつもりでその表現がなされたかをちゃんと捉える必要があるけれど、それどころじゃない言葉や表現も存在する。言ってみれば差別性において強い社会性を獲得している表現ということだ。
これに類する言葉が結構存在するもんだから、ややこしいね。
撲殺天使ドクロちゃん 「びんかんサラリーマンのうた」 - YouTube
実はこれを貼りたかっただけなんじゃないかというw。