「うざったい」は、私周辺(東京下町)では誰も使ってなかったが
聞いたことがなくは無かったし、意味もたぶん知っていた。一方「うざい」は、少なくとも私が高校生の頃はなかった言い方だ。
私は絶対に「ウザい」なんて口にしない。
もし言いたければ「鬱陶しい」を使う。ひとえに世代の問題と言えばそうなんだけど。「若者言葉」なんて言い方をするが「ウザい」は図らずも現在十分市民権を得ている気はする。
個人的に好きな言葉と嫌いな言葉あるのは許容されるよね。
ただその「嫌いさ」に理屈をつけて世の中に愚痴を言うのが私の趣味なのよ。よければ付き合ってほしい。はあと。
さて「うざったい」→「うざい」だとすれば、私に言わせればズボラで社会性の低い言い方だと思う。つまり本来の言葉が存在するのに、あえて縮めてしまうのは、一種の符丁とみなすべきで、すなわちその言葉を使用する人々の閉鎖性を表すといっていい。だからいまだに違和感が抜けないんだと思う。
同様な言葉に「キモい」がある。
これは「気味悪い」もしくは「気持悪い」を短縮することによったものだと思われるが、私はこちらにはあまり違和感がない。とても不思議。
どうしてか考えたんだが、おそらく「キモい」が本来の言葉とは若干異質な「新しい意味」を持ってるからだと思う。
つまり「気味悪い」や「気持悪い」は意味がすごく汎用的で、あらゆる局面で使われる。それにたいして「キモい」は(絶対ではないが)「対人関係」限定なんだ。
私には私の価値観があり、人とコミュニケーションをとるとき、ああこの人「気持ち悪い」って思うことは多々ある。なので、私にとって「キモい」が確定する。なのでこの言い方が言えば「ハマる」わけだ。
「キモい」は良いが「ウザい」はダメ。
結局は言葉に対する意識の低さが私の価値観において我慢ならないとダメ。なにか意味合いが見いだせるとオッケー、っていうことなんだ。
近年「悩ましい」を「判断がつかない」の意味で使う人が多いがこれも嫌い。ただ誤用もみんなが使えば適用になっちゃうんで、いやだなあ、っておもう今日この頃(←昭和の締め方)
玉さんがラジオでしゃべっていたので、2人乗り自転車の旅を見た。最初に出てきた「梅田彩佳」さんがとてもかわいいと思った。喋りから九州の人だなとおもったら、NMBなんだね。
— えでぃ (@stykhr) 2015, 9月 27